こんにちは。写真家の石井和宏です。
番外編として書いております。
今回の桜は2024年に撮れたお話です。
2024年も素敵な桜と出会っていました。
僕が桜を撮り始めてから約10年ぐらい経ちます。
あの頃思い描いた景色の一つに、こんなシーンがありました。
『広めの風景の中で、ひとひらの桜がおだやかに舞う』
という非現実的で絵みたいなシーンでした。
だけど、そんな絵に描いた様なものは中々撮れず、
「やっぱり絵画の様にそこまで自由じゃないか」
と写真の難しさと自然の厳しさを知ったわけです。
写真の経験値もそこまでない当時の自分の想像は、少しぶっ飛んでいたシーンを描いてばかりでしたね。
そして、そんな絵に描いてあるシーンは時間の流れとともに、自分の引き出しの奥底にいつしか閉まっていました。
それも無意識に。
というより、僕は狙って撮るというスタンスではなく、目の前の景色に何を感じてどう撮るかというスタンスに変わってしまい、その結果が無意識的にあの頃思い描いた景色を閉まってしまったのもしれません。
さて、そろそろ撮れた時の話でも。
この日、たまたま通りかかった空き地に終わりかけの桜が咲いていました。
風も結構強く、
「今日は桜吹雪の日かな?」
「風のはじまる場所はここかな?」
「周りは何にもないけど、ここの桜、どこか情緒的で春の終わりのイメージを感じる」
ということで、のんびり待ちました。
「今だよ」
背中に風を感じた瞬間、シャッターを切りました。
シャッターを切り終えた瞬間、記憶がフラッシュバックします。
「ファインダー内で見えた景色はまさか…」
見てみると、忘れていた10年前に思い描いた景色がそこに写し出されていました。
初めましてではなく、どこか懐かしさを感じ、胸が熱くなりました。
「10年も待たせてさ、本当、待ちくたびれたよ。やっと会えたね。」
“ひとひらの桜が舞うシーンなんて”
と自分の中で0ではないけど、どこかあったのは事実。
それを奥底に閉まってしまった自分。
心象風景を撮るというのは本当に難しいという思いと、決めつけてつまらない人になってたんだなと反省しました。
本当に絵みたいなシーンはいつか目の前に現れる瞬間がきます。
だから、もっと自由に、もっと気軽に描いて良いということを学んだ2024年の春。